ゆったりまったり雑記帳

その名の通り、雑記帳です。

「仁和寺と御室派のみほとけ」展、「北斎とジャポニスム」展レポート

前回の投稿から日が経ってしまいました。
それなりに忙しく過ごしている星野です。
皆様の日々に少しでも楽しみを提供したく、また筆を執りました。しばしお付き合いください。
 
1/21(日)に上野で、東京国立博物館の「仁和寺と御室派のみほとけ」展と、「北斎ジャポニスム」展を観覧してきました。
そのレポートを書き連ねていきます。
 

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入り口の様子
 
仁和寺は京都右京区にある真言宗のお寺で、宇多天皇が建立しました。敷地内の御室桜が有名ですね。私が2年前親友と旅行で訪れた時は桜の時期ではなかったのですが、立派な樹が多く立っておりました。実は世界遺産でもあるそうです。地味にスゴい。
宇多天皇は綺麗で複雑な紋様の入った(難しい技法の)袈裟をお召しになっていたこともわかり、さすがは皇室……と雅ゲージMAXであることを実感。
第6世の守覚法親王の頃興隆したお寺だそうで、守覚法親王肖像画なども展示されていました。
 
特に面白かったのが、思想と書、仏様についてです。
まずは思想から。
書などで残されていたもののなかで、私が特に気に入っているものを紹介します。
・思無邪(想いは邪気にならない)
・煩悩即菩提(迷いも煩悩も菩提に昇華できる)
のふたつです。
今の自分に響くところがおおいにあったので…こんな私でも救われていいのか、と自分を自分で認めてあげるきっかけのようなものを掴めた気がします。
そもそも仏教では有名な「たんにしょう」において「罪人(迷える心を持つ人)こそ救われるべき」という発想をしているので、どんな人でも救って頂けるのだと思うのです。
少し心が緩んだ瞬間でした。
 
続いて書について。
いろんな方の直筆が出ていたのですが、気に入った方のお話を。
まずは後陽成天皇です。先程の「思無邪」をお書きになっていた方で、堂々として風格のある字でした。なんとなくどっしりした懐の深い方なのかなと思うなど。
また、今回の展示の目玉である空海の「三十帖冊子」(密教の経典を写した国宝)のなかに空海の自筆部分がありました。
それはメモ書きなのかな? 何が書いてあるかまでは読み取れなかったのですが、読みやすい字を書いていらっしゃいました。
しっかり、でもゆったり、バランスがいいのです。さすが三筆。
これは空海ご自身の考えたことや学んだことのメモなのかな…と考えています。
でもメモ書きだとしても、文字は絶対に読まれるものです。(人にもよるとは思いますが)それなりにちゃんと書くはず。実際私が大学で履修していた書写技能の授業で、先生は「時と場合、相手に応じて正しく整った字を書くこと」が書写で身に付けるべき知識技能っておっしゃってたいました。それに通ずるものはあるんじゃないかと思います。書を多く見ているとそこに立ち上る精神性みたいなものが感じられますね。人柄というか性格って、筆跡ににじみ出るものなんだろうなと感じました。
皆さんも生活のなかでありませんか?  この人の字が好き、とか、性格出てるなって思う瞬間とか。
私はそういうことがよくあるので、筆跡と性格について考えていました。
 
余談ではありますが、延喜式とか方丈記とか狩野孝信の屏風とか高校時代の歴史の授業、国語の授業で習ったものの実物が出ていてめっちゃくちゃ驚きました。文化の中心地だったんですね。
 
最後は、仏様のお顔について。
様々な種類の仏様がいらっしゃっていたのですが、そのなかでも印象に残っている作品を紹介します。
よく聞く如来と菩薩はどう違うのかというと、如来仏陀が悟りを開いたあとの姿を、菩薩は修行中の姿を表しているとのこと。
また、悉達というのを初めて見たのですが、これはまだ修行を始める前の姿だそうです。
私の所感では、「悉達」は泣いてらっしゃるように、「大日如来」は微笑まれているように見えて、なんだかとても感動しました。
見ていたときにふと、仏様は自分を映す鏡のように、誰もが頭を垂れながら自身の心を投影してしまう気がしてきました。
背景としてシッダールタは迷い苦しみ、俗世で悲しみのなかにいたんだろうし、如来様は悟ってらっしゃるからどんな艱難辛苦も受け止められるんだろうし……と私が思っていたのもありますが、もがき苦しむ自分の泣きたい気持ちと、すべてを受け入れるような度量を仏様はお持ちなんだろうなって期待がない交ぜになって「泣き顔」と「笑顔」を見たのではないかと考えております。
 

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仁和寺観音堂再現(フォトスポット)
 
実際に「仁和寺観音堂」再現(フォトスポット)の仏様が大集合されているところで、さも当然のように泣きました。
おなかの底から何かが沸き立つような、勇気が湧いてくるような、自然と頭を垂れて手を合わせてしまうような不思議な感じがしたのです。
影にすら尊さが宿っていた気がします、救われたいという私の願いがそう見せたのかもしれないけれど、いにしえから人々が信仰し続けるだけの魅力に満ち溢れていることがわかりました。
素人の私ですら感動したんだから、きっとそうですよね。
 
次に北斎ジャポニスムについて語らせて頂きます。
 

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国立西洋美術館の特設フォトスポット
 
葛飾北斎(1780~1849)は江戸後期の浮世絵師です。画風を何度も変え、その度に号も変えて約70年画業に取り組みました。
その前に鑑賞していた「仁和寺」展で、中国の絵と日本の絵はやっぱり違うと感じていたことがこの展覧会に行くきっかけになっていたのです。
西洋の色彩で描く形ではなく、東洋(アジア)っぽい単線で輪郭を描いているところは、中国も日本も同じだと思います。けれど雰囲気が全然異なるのです。
(ちなみに字も同じで、中国風は楷書、日本は草書がメインでした)
特にひとつの画面に複数の時間軸がある(江戸期の絵巻「彦火々出見尊絵 巻三、巻六」では針を抜かれている人が抜かれている最中/抜かれたあとでふたり描かれていた)のは興味深かったですね。
そういったなかで浮世絵は大きな転換だったんだろうなと感じました、印刷物だしカラーだし…
(筆でこんなに細かく描けるんだ~って感心してしまいました)
単線はそのままに、デフォルメする部分と細かく描き込む部分と緩急つけながらどこかコミカルに描き出すところが北斎流なのかも。
雨の描きかた(線を引く)は日本発祥なのかな?  とも感じました、西洋では雨を題材に描くことがあまりなかったこともあるのでしょうけれど。
自然は支配物でしかなかった西洋に、自然をあたたかな視点から描くことや北斎ならではの表現技法が流入していったことで、確実にその後の西洋画は変わった気がします。
最初は模写から始まって、少しずつモチーフを取り込むようになったことが感じられました。北斎の作品のポーズが面白かったからヒットした感はありますが。
究極にデフォルメされた一筆描きが展示されていたのですが、西洋の人々にとっては斬新だったろうなって思いました。
構図を真似たドガは自身がライフワークとしていた踊り子の絵を仕上げており、かなり刺激を受けていたようです。
アールヌーヴォーのポスターとか人物の描き方が北斎そっくりです。浮世絵が持つ妙なリアリティと滑稽さに惹かれたんだろうな。
でも相撲が風呂上がりに変わってしまったのは文化を知らなかったからなのだろうかと困惑してしまいました…いちおう本で伝えられてた形跡はあったけど…馴染みがないから自分たちなりに真似してみよう、って思ったのでしょうか。
個人的にはモリゾ、カサット、ルンプフが好みでした。
ただ、西洋の人が日本風の人物画を描くとエセっぽい感じが……まあ仕方ないですね。
ルドンは相変わらず怖かったです……北斎のお化けの絵はコミカルなのにルドンは狂気的に怖いのです、リアルすぎるからだと思います。
ホラーなイラストも影響したことがうかがえました。日本風の幽霊を描いてる例もあったので。
 
去年の春夏に横浜美術館で開催されていた展覧会「ファッションとアート~麗しき東西交流」でもテーマとされていた、「ジャポニスム」の流入によって、自然を主役とみる視点が確立されたのはほとんど間違いないでしょう。
線が細かく写実的な植物動物は下絵にしてお皿や瓶に描き出されたようでした。
それが爆発的にヒットしたのは目新しさと自然ってきれいじゃんっていう再認識なのかもしれませんね。
私のお気に入りは「花器:梅」(梅の図柄の小瓶)。めっちゃかわいかったです。
 
日本的なもの(みほとけ、浮世絵など)から感じられる繊細さ、優美さ、時折垣間見える大胆さが、西洋世界にもたらされることによって新たな視点が生まれたことを感じました。
この続きは、また浮かんだときに。
今回はここで終了です。
それでは、また。