ゆったりまったり雑記帳

その名の通り、雑記帳です。

お買い物は命がけ【note・ブログ共通記事】

明日は晴れだって。やったね桃ちゃん。どうも星野です。お花見するぞという執念を胸に執筆しています。

今日は連続投稿の日です、ふたつめは「クリエイターから見た、ほんとうに買ってよかったもの」。

私は自分でものづくりをしますが、その過程で見えてきたことを書いていこうと思います。

11本プロジェクト進行中。いいなと思って頂けたらサポートをお願いします。minneも連動しているのでよかったら覗いてください。

 

大衆社会は物を消費することから成長を始めました。そこから情報社会に移り変わり、現在ではコト消費(=参加した、行ったなどの出来事をみんなでシェアする)の時代だと言われています。そんななかで私がほんとうに買ってよかったと思うものをいくつか挙げていきますので、参考にしてみてください。

 

おようふくに関しては、「安い店ほど接客サービスがいまいち」という法則があります。話しかけられないからストレスフリー、とか思っていると痛い目を見ます。実際私は某プチプラ衣料品店で買ったニットに3日で穴をあけました。たぶんその商品が安物だったのもありますが、あまり愛着がわかずに適当な扱いをしてしまったからだと思っています。店員さんとやり取りをして、自分に本当に似合うもの、お金を払うに値すると感じたものにお金をかけたい。安いものはすぐだめになるし、量産型女子にはなりたくない。それ以来おようふくを買うのは結構値段が張るとしても「自分のサイズに合う」「自分の好みに合う」「質のいいモノを売っている」お店で、と決めています。

最近はF i.n.t(フリーインターナショナル)EATME(RUNWAY)などでお買い物をすることが多いです。私は勝手に自分のコンセプトを「レトロ・クラシカル・ガーリー・ゴシック」と決めたので、それに合わせてのチョイスです。最近買ったコーディネートも載せておきます。

店員さんと積極的におしゃべりすれば「裏メニュー」的なサービスを教えてもらえたり、似合うコーディネートを教えてもらえたり、いいことずくめです。

 

アクセサリーは基本的に自作しますが、気に入っているのはCandy Chandelier Cityさんというハンドメイド作家さんのバレッタです。

独自の技法で布を染めて、それをお花にしているのですが、もう私の好みにどストライクで……何度かブログでも取り上げましたが、素敵な作家さんです。

ゆめかわ、ふんわりしたものが好きな人にはヒットしそう。参考画像をあげておきます。

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EATMEさんでのお買い物結果

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Candy Chandelier Cityさんでのお買い物


 

 

この作品を見ても、おようふうを見ても思うのですが、作るのにはたくさんの人が関わっています。デザイン、縫製、販売……様々なコストがかかっての値段です。そこをケチってしまうと、ほんとうにいいものは見つからないのだなというのが最近の見解です。私も大金持ちではないので、何でもかんでも買うわけにはいきませんが、自分のテンションを上げてくれるものは総じていいものなのだと思います。私の場合はそれがファッションアイテムであるというだけで。テンションを上げてくれるのがお料理やスイーツの方もいるでしょうし、ゲームの人もいると思います。それでいいのです。何を買うかは自由だけれど、それに見合うだけのお金なのか(減価償却できるか、という側面と「質のいいものにかけるお金として見合っているか」という側面とのふたつがあります)などと考えながらお買い物するのがいいと考えています。

ただ、クリエイター目線で言うと「お金を払ってもらえなければ潰れる」のが現実です。好きなもの、たとえそれが何であれ生活を圧迫しない程度にお金を払わなければサービスは終了します。それも、たいてい突然に。余裕がなければいけないのですが、それを生み出さない政治のあり方も考え直す必要がありそうですね。

自分が気に入ったものは元気の源になります、だから「応援したい!」の気持ちでお金を払っている。それが私のお買い物事情です。

なにかモノを買う時に、作り手の想いも感じてもらえれば幸いです。

それでは、また。

教壇に立ったその日から・番外編ナインス【note・ブログ共通記事】

お花見に行きたいという執念だけで書いています。どうも星野です。

今日は連続投稿の日です、ひとつめは「塾での指導について」。私が長く勤めている個別指導塾での教え方を記録しておきます。

11本プロジェクト進行中。いいなと思って頂けたらサポートをお願いします。明日は給料日ですが、まだお金は少ないままなので……何卒よろしくお願い申し上げます。

https://note.com/hoshino1616

 

私が大学に入った頃からバイトを続けている(来年度からは講習期間中のみ出勤する)塾では、本当にいろいろな生徒と出会ってきました。

ちょっと多動傾向のある子が落ち着いて授業を受けられるようになったり、最初はシャイな子かなと思っていたらお話をしていくうちにアピールしてくるようになったり、1年間で生徒ってこんなに変わるのか、と早い段階から知ることができたのはとてもありがたいことでした。学校でも生徒が1年間で学びに対する姿勢が大きく変わるので、その変化を楽しむのもこの仕事の醍醐味なのかなと思います。

今年はありがたいことに優秀な生徒に恵まれ、内部推薦や国公立大学合格なども出ました。私の塾での指導の集大成と言えるかなと思っています。

 

そんな私の基本的な方針は「生徒の特性に合わせる」に尽きます。正直学校で教えている時とほとんど変わらないくらい、生徒を観察しないと個別の指導もできないと思っています。

例えば、私は国語を中心に教えていますが、ある生徒を受け持っていて、「国語は最近調子が良くなってきたけれど、数学でつまずいているなあ」とか、「国語で伸び悩んでいるなあ」とか、そういうのを成績表や模試の結果から判断して、国語を他教科(この場合は数学)に切り替えたり、週あたりの授業時間数を増やしたりします。そのあたりは教室長(上司)の判断もあおぎますが、いちばん近くで接している講師にしか分からないこともあると思うのです。講師が気付いたことはだいたい外れないので、言動・問題の正答率などを細かく分析する(そして分析結果を伝える)、双方向型の授業にしていく必要があると考えます。そのため私は、上司のOKが取れたら基本的に保護者と直接交渉して授業数の変更や教科の変更、受験校などの検討について対応します。そのあたりは塾の経営方針によって変わると思いますが、ここで保護者対応の訓練ができたのも教師として働くうえでとても重要な経験になりました。

閑話休題。元に戻します。

生徒の特性に合わせるためには、問題を解いている様子の観察、メモを取らせた時や話している時の様子を細かくメモする必要があります。弊社には申し送り書的なものが存在しているので、授業しながら気付いたことをどんどんメモしていました。その結果「今回はここがダメだったから次はこういうアプローチをしよう」と自己と生徒を客観的に分析できました。それが今の教師生活でも「授業記録を書く」という行為に結びついているのだと思います。授業の記録を残しておけば、自分や生徒のつまずいたところ、理解できていないところや新たな発見を振り返られるので、初任の先生は1行とかそのくらいで構わないのでメモを残すことをおすすめします。

 

分析するためのデータが集まったら、あとはどう分析するかですが、そこで講師が「論理的に・合理的に考える」ことが重要になってくると思います。

例えば国語でつまずいていた生徒がいるとします。正答率はいいのにひとつの失点を悔やむAくんと、正答率はいまいちだけれど吸収はいいBくん。この2人にする対応は真逆です。

Aくんには自信を持たせるためにまず出来ていることを褒める。9割くらい褒めて1割失点について考え方・解き方を伝えれば伸びます。

Bくんには「分かった気になっていない?」と、ちょっと厳しめのことを言います。そこでノートの取り方や失点箇所の解説を自分の言葉で再生させて、さらに分析を深めます。

こうした対応を考えるためには、問題に対する姿勢を推測する必要があります。Aくんはどこでつまずいているのだろう、もしかしたら思考のフレームから見直したほうがいいのか、とか、Bくんはたぶん「その場でわかった気になっているだけ」だろうな、とか。ありとあらゆる側面から考えられる事態を想定して声をかける能力が求められます。

経験によってわかることもありますが、生徒と一緒に学んでいくうちに気付くこともあると思うので、気づいたときに分析できるように、いつもメモを取っておくことにしています。

また、多くの専門書・指導書を読みながら授業の実践をするのも大事です。理論と実践の往還が教育の本質だと考えているので、教育学部の授業で受けた内容を早速塾で取り入れたり、逆に塾のメソッドが理論として紹介されて「これのことか」と納得したりすることもありました。何事もまず体系的な理論に基づいて指導してみるのが一番ですね。

 

本当は、私はあまり対人コミュニケーション能力が高くないので、それを克服するために始めたのが今のアルバイトでした。やっていくうちに自分の教科指導能力とコミュニケーション能力が高まっていったのは、たぶん自分が上を目指そうとしていろいろと研究したからだと思っています。ひとにものを教えるためには、自分が常に向上心を持ち続けないとやっていけない(いずれ後退することになる)と思います。私はもう塾でほとんど教えませんが、その経験を活かして教壇に立ち続けたいです。

これが後進の方の何かの参考になれば幸いです。私も教師としてはひよっこですが、共に頑張りましょう。

それでは、また。

困った時の英語勉強法【ブログ限定記事】

連続投稿ですみません。どうしても書きたかったので、このお題に挑戦しようと思います。どうも星野です。花見酒するんだ。

 

私と英語。それは切っても切り離せない何か、なのです。

 

以前吉祥寺の駅で「新宿方面の電車はどれか」と外国からいらしたおばさまに聞かれたり、街中で英語で話しかけられたり、塾では英語を教えていたり、私は英語と共に生活しているという実感があります。

 

私はわりと教育熱心な親の元で育ったので、水泳と合気道と英会話を習っていました。どれも10年以上続けていて、今でも体が覚えているので生活の様々な場面で役に立ってくれます。英語のスピーキング・リスニングで困ったことはありません。(しかし最近衰えを感じるようになりました)

中学校で初めて座学として英語を習った時も、そんなに違和感なく受け入れていたので、そこは親に感謝すべきだと思うのですが、あまり早期に二か国語以上を話させようとあれこれ学習させるのには反対です。学習言語と生活言語は異なるので、ダブルリミテッド(母語第二言語も中途半端にしか話せない状態)になります。その危険性だけは強調しておきます。

 

英語はたぶん、文法でつまずいたり長文でつまずいたり、何かと学生の間では「めんどくさい」「意味が分からない」教科なのかもしれません。しかし英語も言語です、ナマモノで、刻一刻と形を変えながら世界の誰かと会話をするために学ばれるのを待っています。

 

そこで、私なりの英語学習に関するお助け情報を発信していこうと思います。

 

①英単語は五感をフルに使って覚える

書く・聞く・読む、どれが自分に合っているかいろいろ試すのがよいです。いちばんいいのは全部やること。記憶が定着しやすいです。寝る前に暗記して朝一番にテストすると定着度が測れます。熟語も一緒に覚えるのがよいでしょう。

 

②文法をある程度固めてから長文へ

自分の苦手な分野がどこなのか、模試や学校のテストを使って徹底的に分析しましょう。文法のつまずきは基礎的なところまで戻って練習するとよいです。参考書もたくさん出ているので、自分に合ったものを見つける意味で本屋さんに行き、立ち読みしてみるとよいと思います。学校でもらったものでも大丈夫です、とにかく1冊完璧にやり通すことが大事。

 

③長文を読むときに必要なこと

文脈を追う、という言い方をするのですが、要は論理の道筋をたどるということです。評論文の性質を持つ文章は、わりと段落の最初と最後をまとめて要約していくと理解しやすくなります。段落ごとに小見出しをつける、音読する、という活動も効果的。SVOCや構文が取れるようになるまで何度も同じ文章を読んで練習しましょう。まずは精読できるようになること、そのあとでスピードをつけていきましょう。過去問題に早い段階から手を出して、自分の実力を測るバロメーターにするとよいと思います。精読の技術はノートの取り方にも出るので、余白を活かしたノートの取り方を。参考までに私のノート例をあげておきます。

 

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高校時代の英語のノート

 

英語だから嫌い、分からない、じゃないと思うのです。日本語でも分からないことってたくさんあると思うのです。どちらにしろそれを「分からないまま」にするのがいけないので、とにかく辞書を引いたり先生に質問したり、出来る限り「分からないことをなくす」努力をすれば英語も伸びると思います。私の話はほんの一例ですが、自分に合った方法を見つけて、英語と楽しくお付き合いできたらいいなと思っております。

それでは、また。

アルク #トーキングマラソン 特別お題キャンペーン「わたしと英語」

アルク「トーキングマラソン」×はてなブログ 特別お題キャンペーン
by アルク「トーキングマラソン」

インターネットコンテンツの功罪【note・ブログ共通記事】

 

今日は自分でマスクを作りました。これでエコな暮らしができる! どうも星野です。東京では桜が満開です。今年もひとりで花見酒をします。

本日の執筆は「オンラインのコンテンツ」についてです。今ちょうどニコニコ美術館のタイムシフトを視聴しているので、それにまつわるお話もいくつか。

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政府の自粛要請に関連して、様々なコンテンツが無料で視聴・閲覧できるというありがたい取り組みが行われました。

そのひとつが今ちょうど見ている「ニコニコ美術館」。国立新美術館で開催されていた「ミュシャ展」も視聴することができます。

今回は竹細工の美術展覧会(大阪にちょうど巡回していたもの)を中継していました。私はその展覧会を見逃していたのですごく楽しみでしたし、実際にコメント付きで映像を見ると「すごい」「面白い」などの感想をみんなと共有できることや、館長自らが解説してくださることなど、かなり充実した配信になっていて、正直驚きました。

オンラインで鑑賞できることのメリットとしては、

①興味が薄くても視聴するだけなので鑑賞へのハードルが低い

②どんなひとにも開かれている(外へ出られないひとに見せられる、字幕が付くことで聴覚障害のあるひとも楽しめる、音声のみなら視覚障害のあるひとにも見てもらえる)

③料金が安い、あるいは無料

というところでしょうか。ニコニコ美術館は魅力的なコンテンツですし、教員の方ならNHK for Schoolなども活用されている方もいらっしゃると思います。

なんでもネットで済んでしまう現代社会で、双方向型のオンラインコンテンツにはかなり将来性があると思います。

どんなひとにも提供できる、楽しさを共有できる。ニコニコ生放送のコメントなどが最たるものでしょう、出来事(イベントに参加したという事実そのもの)を消費する現代の消費形態にも非常にマッチした形になっています。Vtuberの台頭などもその一端なのかもしれません(申し訳ないのですがそちらには疎いので間違っていたらすみません)。インターネットがもたらした利益の大きさというか、新たな価値と言えるでしょう。

 

自粛によって開催が中止・延期になったライブや展覧会を、無観客で配信したり生放送したり、アーティストや兼伊スタッフの皆様によるたくさんの努力で、まだなんとか息をしているのがエンタメ業界です。

教育でもオンライン授業などに切り替わることができる、対面でなくてもいろいろできるぞというのが、一般に広く知られるようになったのではないでしょうか。

しかし私たちは、果たしてこのコンテンツをただ享受しているだけでいいのか? と一石を投じたいと思います。

 

教育のお話からしていきましょう。

オンライン授業に切り替えるとなると、家庭にインターネット環境が整っていないと何もできません。貧困家庭など本当に知識を必要としているひとたちに情報が届かないということがありえます(学業は経済的格差や身分から脱却するための手っ取り早い方法ですから、それができないというのは本当にオンラインだけがいいものなのか疑問です)。反転授業など、対面とオンラインの融合でしか教えられない授業もあります。ネットの使い方が身についていない児童生徒に、どこまでオンラインコンテンツを利用させるのかという線引きもまだ明確ではありません。香川県ではゲームの規制条例が可決されたそうですが、それは果たしてこの時代に見合ったものなのか、というのも謎です。

教育ひとつとっても、足並みが揃っていないし、かなり適当な枠組みや体系しかないのが現状です。

 

 

https://note.com/hoshino1616/n/n0c7838463390

 

美術館のオンライン中継も、間口を広げることには貢献してくれますが、それだけでは採算が取れません。そして実際に美術品を目にしないとわからない芸術性などもあると思うのです。ひとりで鑑賞することで見えるものもあるだろうし、予算のある美術館・有名どころの美術館しか配信できないなどとなってしまえば本末転倒です。だから前回の記事にも書きましたが、「推すなら金を払え」ということになります。コンテンツはタダではありません。作り手の想いがあります。善意だけでやっていけるものでもありません。いつコンテンツが終わるかなんて誰にも分からないのです。それならばきちんと「お金を払う」という行為をすべきだと考えます。

コンテンツの作り手に敬意を表し、応援するという意味を込めての「お布施」です。私はいつもそうしています。もちろん金銭的に余裕がない方は無理しなくていいと思いますが、できるなら応援してほしいなと思いつつ、ここでお話を終えたいと思います。

それでは、また。

教壇に立ったその日から・番外編エイス【note・ブログ共通記事】

美味しいサブレを頂いて、紅茶と一緒につまんだら至福の時間を過ごすことができました。美味しいものはQOLを上げる。どうも星野です。

今日は初等教育中等教育(主に高校)との違いに焦点を置いて、現場の初任の先生が直面する大変さについて私見を述べていこうと思います。

情報協力は小学校教諭を1年やった友人です。お疲れ様、そしてありがとう。

11本プロジェクト進行中。いいなと思って頂けたらサポートをお願いします。

https://note.com/hoshino1616

 

最近休校措置の対策として一部自治体の「小学校から7時間授業」というニュースが報じられましたが、それはさすがに小学生だとじっと座っていられないよね、という話になったのですが、生徒の負担も大きいけれど教員の負担も大きいよね、としゃべっていました。じゃあ先生方も教科や業務を分担すればいいのに……とぽろっと言ったら、小学校の先生はあまり教科担任制に前向きではない様子でした。理由を聞くと、「子どもたちが疲れちゃう」とのこと。どうやら小学生は我々が思うよりデリケートな存在で、先生の入れ替わりだけで負担に感じてしまうことがあるのだそう。あとは初等教育の先生は「何でも屋」的にすべてをマルチにこなすことを楽しむ傾向にあるようで、これはn=1の話なのですが、ひとつのことに集中するよりいろんなことをやらせたい・やりたいと考えているみたいです。どちらかというと「何でも屋」になりたい、そう思っていると私は感じました。

他にも「行事があるとモチベーションが上がる(目標ができるから)」だとか「祖父母と交流する、長期休みに家族と出かけるなどの外部経験をたくさんしてほしい」だとか、高校の教師をやっていては見えてこない、子どもの発達段階に関する情報が出てきました。

小学校では、「目的をもって」「時間を決めて」何かを行うことさえも子どもにとっては初めての経験です。そのせいで学習についていけないことが不登校の原因になりやすい学齢だと言えます。行事だけ参加できる児童がいるのもそのためだと考えられます。カタカナの書字、引き算を抽象概念で行えない、「う」と「ん」の区別がつかない……そんな初歩から!? と私は驚いてしまいましたが、そういう子どももいるとのこと。そのことを念頭に置いて指導していることに、私は頭が上がらないなと思いました。そういう子たちの支援・指導の上に中等教育が乗っかるわけですから。

 

初等の先生方は中等よりも長い時間、子どもに触れています。その経験から「教科担任制では子どもの本質が見えない」と考えているようです。もちろんそれにはおおむね同意できます、私は国語の時間しか生徒に接していないので学級での様子などはわかりません。ですが、授業で見せてくれる表情や発言からでも生徒の一面はわかりますし、担任の先生と連絡を密にすればカバー可能な領域もあると思います。だから初等でも、やろうと思えば教科担任制はできるのではないでしょうか。実際に私が実習した時は61チームで教科担任制でも児童は混乱していなかったので。(あくまで高校教師をしている私の体感なので、実際に教壇に立っている小学校の先生のご意見を求めたいところではあります)

 

ただ人員不足なのはどこも同じなようで、私の勤務校もいまだに教員を探しているのですが、例えばテストの採点や教室の掲示物などを貼り替えるとかそういうレベルでひとが足りていないのが小学校の現実です。それは小学校の教師が「何でも屋」になってしまうから、というのはひとつの示唆になると考えますが、導入は難しいとなると他に実行できそうなのは「ひとクラスの人数を減らす」ことがいいのかなと思います。さすがに40人近くを一人の教員で面倒を見るのは大変すぎます。そのための予算・人材育成を早急に始めるべきです。神戸の教員いじめのような事件が起きないように、ベテランも新人も育てていくこと、作業の効率化(余計な仕事を増やさないこと)・無理のない時間割や作業量・風通しのいい職員室(児童生徒に対しても、教師に対しても陰口や失礼な発言のない環境づくり)をしていく必要があります。すべては現場に人員と予算が足りていないことが諸悪の根源のようです。仕事に忙殺されて余裕がない、初めてだらけの新人にいろんなことを押し付けすぎる。現場にあれこれ口を出すならお金も出してくれ。それが現場の教師の本音です。

来年度から学習指導要領の改訂で評価の体系が変わり、高校では教科編成も変わります。それがどんな結果をもたらすかはやってみないと分からないことですが、今の段階で言えるのは「教師にも人権を与えてください」ということです。

 

この訴えが偉い人に届いて、何かが変わることを祈って、お話を終えたいと思います。それでは、また。

推しにお金を払いたい【note・ブログ共通記事】

今日は自由が丘まで探検しに行ったのですが、桜が三分咲きくらいになっていて、とても心がウキウキしました。どうも星野です。

執筆RTAです。11本プロジェクト進行中。いいなと思って頂けたらサポートをお願いします。

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今日のテーマは「消費」。皆さんは消費行動のことをどのようにとらえていますでしょうか? 私の考えというか、持論を述べさせて頂きます。

 

私はお金を使うことがとても好きです。ため込むより使ってしまいます。長期的に見たらそれはとても刹那的な生き方なのだろうと思いますが、死後に預金を持っていけるはずもないので、ぱーっと使ってしまいます。

そしてこのパーッと使ったお金が、めぐりめぐって私のもとへ還元されると信じているのです。

 

例えば、私はおようふくを買うのが好きです。おしゃれは私にとって必要不可欠、どうしてもやめられないもののひとつです。そんな私の好きなおようふく屋さんは、店舗の数が限られていて、ほとんど通販です。それもそれで便利なのですが、実際に着てみないと、着心地がわからなかったり見た感じなどがモデルさんと異なったり、などのデメリットがあります。だからお買い物は基本店舗に行って……ということになります。よくいる「声をかけてくる店員さんがうざい」というお話も分からなくはないのですが、このおようふくにはどんなアイテムが合うのか、オススメは何なのか、こちらも情報を引き出すために私はあえてたくさん話します。その結果お店に愛着が湧いたりもするのですが。とまあ、私はお店でお話をしながらあれこれ悩んでお買い物をするのがとても楽しいと思っています。

そんな(私にとっては)大切なストレス発散の場が少なくなったらと思うと悲しいし、おしゃれを楽しむのにも不便です。だからお店が長く繁盛するようにと願いを込めて商品を買わせて頂き、長く愛用するのです。

私の仕事柄、着替えず私服で働くのでバリエーションがあるほうが自分の気分もあがります。「おしゃれは自分のテンションを上げるもの」、枕草子にも書いてある千年変わらぬ事実です。そんな私の元気の源になってくれるお店を、「推さずにどうする」。お店への投資は、自分への投資でもあるのです。

 

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最近買ったファッションアイテム

 

飲食店もそうです。お気に入りのカフェには何度でも足を運びます。それはそのお店に潰れてほしくないからです。この疫病と増税による不況で、個人営業のお店はかなり苦しい状況にあるかと思います。そんななかでもお店を開いて迎え入れてくれることは、とてもありがたいことなのです。いつ無くなるかわからないのなら、できるだけ長く一緒にいられるように投資をすべき。私はそう思います。

 

現在の新型コロナウイルス増税による経営不振には、政府からの関与も必要であると考えます。個人事業主フリーランスを中心に「ちゃんとお金を出す」。単なるバラマキではなく、緩急をつけて必要なところにお金と人員を回す。そのうえで外出の自粛期間を明確に決めて、終わったらたくさんお金を使ってねとお金を支給する。それだけでだいぶ変わると思うのです。現状は緩い自粛要請と意味があったかわからない休校措置、それなのに仕事は休めない(変わらず出勤はする)という中途半端な状態です。それではこの病気の感染拡大を防げるはずもありませんし、経済も冷え込むことはわかっていたはずです。

だから私は「緩急をつけた」融資とイベント・社会全体への活動自粛(もちろん自粛するのはライブ等の文化的娯楽だけではありません、仕事全体をいったん止めるくらいのことはした方がいいと思っています)をすべきだったと考えます。初動がまずかったのだと私は思っています。

 

好きなものに、好きな人に、お金をかけたい。それもひとつの「推し」方です。好きなコンテンツにはきちんとお金を払いましょう、無料に乗っかっていてはいつか潰れますよというお話でした。

それでは、また。

教壇に立ったその日から・番外編セブンス【note・ブログ共通記事】

日々の娯楽はことごとく潰されてゆくのに、どうしてお仕事は無くならないのか。どうも星野です。

ライブの振替公演に行けないことが分かったのでもうショックすぎて夜しか眠れない。

今回は「図書館」についてのお話をしたいと思います。11本プロジェクト進行中。いいなと思って頂けたらサポートをお願いします。https://note.com/hoshino1616

 

皆さんにとって図書館はどんな場所でしょうか。勉強する場所、本やCDが借りられる場所、最近ちょっと足が遠のきがちな場所……いろいろあるでしょうが、私にとってはいつも「救いの場所」なのです。

小学校の頃からいじめや厄介ごとから逃れるために学校図書館に入り浸り、図書委員という職権を乱用して読みたい本をリクエストしまくった経験を持つ私の命は、まさしく本に救われたと言っても過言ではないです。

今も地元の公共図書館を利用し、週に3冊ペースで借りて読んでいます。しかしこういう生活とは無縁の方もいらっしゃるのだろうとは思うので、「なぜ今図書館が必要なのか」を語っていきます。

 

図書館はコミュニティを形成したり、情報のリソースになったり、学習センターとして機能したり、様々な役割を持っています。その地域にしかない郷土資料を保存・管理するのもお仕事です。

学校図書館に限定するならば児童生徒への読書教育を推進し、調べ物をする能力から読解力までを養っていく役目も負っています。

図書館は誰にでも開かれた場所でありながら、どんな本を読んでいるかなどのプライバシーは守秘義務として徹底的に守られる場所なので、専門的な知識がないと司書ができないのです。

まあ、最近はそのあたりが軽んじられて非正規に任せるとかAIで代用するとか、冗談もほどほどにしてほしいくらいの戯言が言われていますが。

活用できるとかなりお得な場所であることには変わりがありません。司書さんに「こんな本ありますか」と質問して取り寄せてもらえるレファレンスサービスなど、自分の知りたい情報に簡単にアクセスできますし。

そこがどうして活用されないのか、ということに常々疑問を抱いていました。

意識が変わったのは今の勤務校で働き始めてからです。彼ら(生徒たち)は、図書資料の調べ方や読み方を習っていないので、レファレンスはおろか自分がどんなサービスを受けられるのか知らなかったのです。

世の中には(当たり前ですが)自分と違って本を読む環境にいない子どもたちもいるのだという事実に驚愕しました。

そういう子たちは大人になってからも図書館を利用しない(あるいは利用したくてもできない)のではないか、それはもったいないのではないかという思いがあり、来年度からは図書資料を活用した授業もいくつか展開する予定ですが……それは後述するとして。

喫緊の課題は図書館利用者の低減、というより偏りにあると考えます。若年層が本を読まない状況を変えたい。ではどうするか。

 

そこは学校図書館や学校の授業で指導していくほかないと考えます。

というのも、経済的な格差が厳然として存在する以上、私的な教育では限界があるからです。小~中学校、高校あたりまでで図書資料の活用法を授業の一環として学習する機会があれば、読書教育の諸問題もひとつずつ解決できるのではないかと思うのです。

例えば、入学したての中学生に「日本十進分類法」の話をする。それだけではつまらないので、謎解きゲーム要素を入れて図書館を「探索」する。その過程で、図書資料の調べ方・活用法を学ぶ。こういった活動もあっていいのではないでしょうか。既に行われているというお話も聞きますから、もっとメジャーになってもよいと考えています。楽しく学ぶ、というのがポイントで、本を読むことに抵抗のある児童生徒にも興味を持ってもらわないとあまり意味がありません。ほんとうにこの情報が届いてほしいのは本を読むのが嫌いな子、ということも大いにあると思います。

図書館と連携した授業については、例えば国語ならいろいろな訳(多言語でも構いません)の「枕草子」「源氏物語」を読み比べて、どうしてその訳出になるのか考えたりとか、作家の逸話を集めた本を読んで発表するとか。小学校なら読書習慣をつけるために週に1回図書の時間が設けられているところもあるでしょうが、それ以外にも理科の実験の仕方を調べて実践したり、社会科で昔の地図と今の地図を見比べたり、音楽や図工で作曲家や画家の生い立ちなどの伝記を読んだり……使い方は無限大です、教師の皆さんには司書教諭や学校司書に相談して授業を構想してみてください。

 

私の教育実習先には大型絵本があったので、1年生の子たちに絵本の読み聞かせをしてあげたり、司書としてどうやって蔵書を入れるのかの会議にも出席させてもらったりと、いろいろな経験を積ませてもらいました。その話もまたいずれ。

図書館の利用のために、まずは学校で力を入れて使い方を知ってもらおう、というお話でした。それでは、また。